その7 墓参り

人形芸術の巨匠と歩んだ20年
多磨霊園 現在、川本喜八郎さんが眠る合葬墓地

8月23日は人形美術家・川本喜八郎さんの命日。2020年は新型コロナウイルス感染症の影響で控えさせていただいたが、例年この日に、川本先生の遺骨が納められる多磨霊園を墓参している。

多磨霊園には岸田国士、岸田今日子、岸田衿子、中島敦、三島由紀夫、吉川英治、徳川無声、樋口龍峡、下村観山、森田草平、といった飯田に少なからずゆかりのある方たちも眠っている。川本先生が亡くなったとき、川本家の墓は霊園の一角に単独で在り、そこに遺骨が埋葬されたが、その後、遺族である姪御さんのご判断により合葬墓地に移されている。

多磨霊園の一角にあった川本家の墓(2010年12月頃)

川本先生の生前、私は川本家の墓参りに2回同行したことがある。たまたまアトリエにお邪魔しようと連絡申し上げたところ、先生にはすでに墓参の予定があり「一緒に行きませんか」と言ってくださった。

思えば、「墓参り」は川本先生にとって重要かつ日常的な行事だ。中国・成都市の旅で、諸葛亮孔明の墓「武候祠」を訪ねたことはごく一般的なこととしても、チェコの旅では師と仰ぐイジィ・トルンカの墓を参った。トルンカの墓はこんな感じなのかな、と思っていたとおり素敵な墓だった。

チェコ・ピルゼンにあるイジィ・トルンカの墓

川本先生が多磨霊園を墓参するときのルートは決まっていて、JR中央線・武蔵小金井駅をスタートする。多磨霊園の広さは東京ドーム27個分もあるそうで、当時の川本家の墓は霊園の北西側、武蔵小金井駅寄りにあった。駅から墓地までは約1.5kmあるが、はじめて同行する際、先生は「どうされますか、バスに乗りますか。僕はいつも歩きますが」とおっしゃったので、そのときはまだ暑い時期だったが、私はもちろん「歩きます」と答えた。

武蔵小金井の商店街は地域性が強い感じで活気があった。先生は「この商店街は生活品きりになりましたね」とにこやかに東京弁で語っていた。その頃の川本先生は極めて健脚で、「不射之射」(1988)の老師・甘蠅(かんよう)さながら、私の前を早足で歩いて行った。「(健康のために)早く歩かなきゃいけないのです」

先生は千駄ヶ谷にある自宅周りもよく散歩するらしく、「『菱田春草終焉の居宅地』(代々木3丁目)を見つけた」と言って案内いただいたこともあった。

さて、多磨霊園の入口手前には数軒の石材店があり、先生は決まって「こがねい石材店」で、まずお茶をいただき、黄色い花とお線香を調達し、水桶を借りて墓地へ進む。墓地では箒などお掃除道具も用意されていた。手ぶらで来られる理由はここにあった。

墓参が終わって、武蔵小金井駅への帰り道、「野川」に交差しかけたところで、「散歩しませんか」と先生。「いいですね」と私。野川は大した水量は無さそうだが、近自然工法で、河川敷を歩けるようになっている。護岸の外側は幅員2.5m程の側道になっており、車は進入禁止となっていた。霊園通りを離れて下流側に歩き始め、住宅地の間を縫うような快適なオアシスになっている。さらに下流側には武蔵野公園がある。初秋の夕暮れに川沿いを川本先生と歩き、今後のアニメーションの構想などをお聞きした。夢のようなひと時だった。

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