人形芸術の巨匠と歩んだ20年

人形芸術の巨匠と歩んだ20年

その11 フレデリック・バックさんの来飯

そのアニメーションは、南プロバンスの不毛の荒地から始まる。色鉛筆で描かれた絵が滑らかに揺れるように動く。主人公は、妻と子を失った孤高の老人で、黙々と荒地に一粒ずつドングリを植えていく。何年も何年も老人の行為は続き、やがて森が出来る。森が水...
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その12 チェコでの人形修行

2001年6月、「川本喜八郎・わが心の旅/チェコ」ツアーが開催され、全国から28名が参加、私も加わった。このツアーは、NHK「わが心の旅」シリーズで、川本先生がチェコで1年半もの人形修行したときの足跡を辿る番組に因んで、先生自身が企画した...
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その13 「桃園の会」の発足

2002年7月、川本喜八郎監督・人形アニメーション「死者の書」の製作実行委員会が設立され、同年9月には「ひとこまサポータープロジェクト」が開始された。このプロジェクトは映画のひとこまを一口1万円として、全国各地のファンが製作支援するという...
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その14 竹田人形座のこと

2006年1月、「桃園の会」は飯田文化会館との共催により、人形美術館開館一年前イベントとして、「人形アニメーション映画『死者の書』鑑賞会」を開催した。 この催しは当初、飯田市公民館ホールを会場として進めていたが、前売チケットがたちま...
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その15 遺作「死者の書」に込めた想い

「僕は人形きり出来ない人間ですから」というのが川本喜八郎先生の口癖だった。白状すると、この何気なく発せられる口癖が私にはかなりキツかった。なぜなら、これを聞く度に「自分には何か出来ることがあるだろうか」と自問せざるを得なくなるからだ。 ...
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その16 高畑勲さんのこと

川本喜八郎人形美術館オープン1ヶ月前の2007年2月、「桃園の会」は、飯田文化会館との共催により、ゲストに映画監督の高畑勲さんを迎えて、開館前スペシャルイベントを開催。高畑監督アニメーション「パンダコパンダ雨ふりサーカスの巻」(1973)...
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その17 ロシアの映像詩人ユーリ・ノルシュテインさんがやってきた1 

飯田市川本喜八郎美術館は2007年3月オープンした。そこから2年半ほど経った2009年のある日、川本喜八郎先生から電話があった。「友人のユーリ・ノルシュテインさんに飯田を案内したいのですが、僕の代わりに案内してくれませんか」という依頼であ...
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その18 ロシアの映像詩人ユーリ・ノルシュテインさんがやってきた2

2009年に川本喜八郎先生の手ほどきで来飯したロシアのアニメーション監督ユーリ・ノルシュテインさん(以下、川本先生に倣い「ユーラさん」と呼ばせていただく)がこれまでに発表した作品は、10本に満たないが、いずれも心に沁みる名作である。中でも...
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その19 フレデリック・バックさんとの再会

1998年、川本喜八郎先生がカナダのアニメーション監督フレデリック・バックさんを飯田にお連れいただいたことがきっかけとなり、バックさんとの交流が始まった。 2004年には、かざこし子どもの森公園で、当時公園管理を受けていた野外教育研...
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その20 最期

川本喜八郎先生が亡くなる3ヶ月半程前の2010年5月3日、飯田市美術博物館で、川本先生と慶應義塾大学講師・平井徹さんのお二人が講師となり、「三国志講座」が開催された。川本先生と平井さんが毎年のように旅した「三国志に纏わる史跡」がテーマとな...
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